徒然草は吉田兼好の随筆ですね。とても有名なので中身は知らなくても聞いたことはあるのではないでしょうか。まずはとにかくどのようなものか見ていきたいと思います。まずは有名なアレです。
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つれづれなるままに
つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
現代語訳
これといってすることもなく、ヒマにまかせて一日中硯に向かって、次々に心に移っていくとりとめのないようなことを書いていると、変に狂気じみてくる感じがする
※ 狂気じみるの部分は、馬鹿馬鹿しくなるや、心が高ぶるなどの解釈なんかもあるみたいです
三大随筆
徒然草は、清少納言の「枕草子」、鴨長明の「方丈記」とともに三大随筆の内の1つに数えられています。そもそも随筆とは何でしょうか。ウィキペディアからの引用では、
随筆(ずいひつ)とは、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。随想(ずいそう)、エッセイ、エッセー(仏: essai, 英: essay)等ともいう。「essai」の原義は「試み」であり、「試論(試みの論文)」という意味を経て文学ジャンルとなった。
だそうです。細かいことを抜きにして単純に言うと「ブログ」のようなものですね。全部で243記事数です。現代で言えば、有名人・著名人のブログと言ったところでしょうか。日記でも例えとしては間違っていないようにも思います。徒然草は作者である吉田兼好の個人的な考え方はもちろん知ることができるでしょう。また、この文章を元に歴史の研究がされるかもしれません。
ただ、古文の教育内容については、ちょっと違和感があります。古文の読み方だけを教えてもつまらないから、作者の感情はどのようなものかなどの問いは良いかもしれません。しかし、「狂気じみた気になってくる感情を考えてみよう」などの問いはどうなんでしょうか。
随筆はブログと同じようなモノ
回答として「考えたけどわからない」は不正解でしょうか。間違いなく正解だと思います。また、「吉田兼好の考え方は嫌いなので、考えたくもない」でも正解でよいと思います。もちろん「吉田兼好のことを好きでたまらない」と言う人は一生懸命感情を考えようとするかもしれませんし、吉田兼好のことを好きだと言える学生さんは増えてほしいですが、教育内容には違和感ありありです。
管理人自身は今は好きとか嫌いのような感情は徒然草に対してはありません。はっきり言って知らないからです。なので、今後も徒然草を読んでみて感想などは書いていこうかなと思っています。異なる思想の人の意見や主張は納得するにしてもしないにしても、その違いに触れることは有意義であると管理人は思います。もちろん、こっちは賛同、こっちは相違のようなことが多いのではないかと思いますが。
しかし、なぜ吉田兼好は個人の主張を残しておいたのでしょうか。思うだけでは満足できなかったのでしょうか、それとも誰かに見せたくて残しておいたのでしょうか。まさかの承認欲求かもしれませんね。であれば、やはり随筆もブログもなんら変わらないかもしれません。