去年の暮れにはげしい腹痛がmasaoにやってきました。歩く振動でもズキズキ痛みます。これは何かおかしい。とりあえず、近所の医者に行くことにしたのでした。このときは、思ってもいませんでした。個人事業主になって半年後にガンがみつかることになろうとは・・・・
スポンサーリンク
何かでっかいものがある
医者に診てもらったところ、1週間後に大腸カメラをやってみるかといわれたのでやることにしたのですが、どういった経緯か忘れましたが、その前にCT検査をやることになりました。
実はこのとき、すでに腫瘍マーカーとかいうCEAの値は16くらい出ていたので、がんを疑っています。お医者さんも隠す素振りもみせません。ググってみてと言われた次第です。ググった結果はこんな感じです。
CT検査では、何回も面倒だから造影剤ありのほうでいいでしょって感じで。。。。面倒くさいとかそういう基準なのか。。。ざっくばらんな先生です。。。
CT検査自体は、検査機器のある大きな病院で行いました。その結果をまた、お医者さんにみてもらいます。なんだ、この面倒なシステムは?って思いましたが、従うしかありません。
その結果、お使者さんは「あ~、これはだめだ」的な感じでした。ここにデカいのあるでしょ。これは多分ガン。大腸カメラの必要もないとのことです。即、「紹介状書くからどこの病院がいい?」って聞かれました。
元気なババアの看護婦さんにも、「大変なことになったね」と肩を叩かれ励まされているような感じになりました。でも、なんだか、他人事のような感じもしている自分がそこにありました。
苦痛の大腸カメラ そして入院
まず、紹介状を持って病院にいったところ、大腸カメラの検査を今日やってみるとのことで、仕事はキャンセル、大腸カメラのために2時間くらいかけて(だったような、記憶なし)かけて下剤らしき液体を飲みました。
下剤で腸内の便を出し切ったあと、いよいよ大腸カメラです。実はこの大腸カメラが入院・手術を通して一番の苦痛でした。
水やら空気やらを出しながら、カメラが肛門から大腸を駆け上っていきますが、これがとてつもない苦痛です。お医者さんや看護師さんたちは、「おなら気にせず出して」とか言ってきますが、自分でコントロールしておならを出すことはできません。検査中は「ふがふがふがふが」いって耐えてました。
すると、忌まわしき大腸がんが見えてきました。どんな形か覚えていませんが、まがまがしいオーラを放っていました。ってか、でかい・・・・
検査後、即入院を勧められましたが、2日間の猶予をもらって、仕事の関係者には話をして、しばらくの間は戦線離脱すると伝えました。もちろん、復帰することはないかもしれないとも伝えました。
そして入院生活のはじまりです。
暇な入院生活
とにかく、暇です。このとき、腹の痛みもひいていたので、体は意外に元気です。なので、暇です。コロナのせいで、お見舞いも誰も来れません。まあ、ほとんど誰にもガンになったことを伝えていないので、そもそも誰もきませんが。
漫画よんで暇な時間を過ごしていました。
全身麻酔して手術へ
手術は、全身麻酔をするため、気づけば終わってました。そして、夜中には高熱がでましたが、寒気のようなものはありません。なんで、そんなに熱出てるのになんとも感じないんだろうと不思議でした。そして朝には平熱に戻っていましたが、体調に変化もなく、なんだったんだあの熱はって感じです。
先生からは、悪いところは全部とったと聞き、とりあえずは安堵です。しかし、リンパや他の臓器への転移があるかないかは、これからの検査だそうです。不安ですが、検査結果を待つしかありません。
なお、手術翌日には、「立て、歩け」と看護師さんがいいます。早期離床でしょうか。痛かったので、鬼のようにも思えた記憶があります。
無事退院!
手術後はお腹がはって、腸閉塞だったみたいですが、痛かったですが、気合入れて歩いたり、おなかを意識的に動かしていたら、だんだんと楽になってきて大丈夫でした。入院生活は、実に23日に及びました。そして、生まれて初めての入院・手術と良くも悪くもいろいろな体験をしました。
退院後の翌週には、リンパなどへの転移もないことがわかりました。本当に安堵でした。抗がん剤治療などの闘病生活が続くこともなく、月1回の検査だけでOKとのことです。あとは、再発しないことを祈るしかありません。
現在では、腫瘍マーカー(CEA)の数値も正常値に戻り、無事に仕事に復帰することもできました。関係者の皆様には本当に感謝しています。m(__)m
本当にありがとうございました。