『重複』の読み方は「じゅうふく」でしょうか?「ちょうふく」でしょうか?もったいぶる必要もありませんので、結論です。グーグル先生に確認した結果、本来の読み方は「ちょうふく」が正しいが、「じゅうふく」と間違えて読む人があまりにも多いため、現在では「じゅうふく」でも認められているとのことのようです。
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読み方が変遷や追認は当たり前
『既存』や『依存』も本来は「きそん」「いそん」と呼ぶことが正しいのですが、実際には「きぞん」「いぞん」でも 問題ないし、そちらの方が正しいと思っている人も多いことでしょう。
※ NHKが認めているとか、認めていないとか、細かいことは無視してお読みください。
多数のバカが少数の正しさを駆逐する
嘘もつき続けると、本当になるかのように考えている国は日本の近くにも存在します。程度の差こそあれ、日本でもそのようなこともあるでしょう。自分たちの都合の良いように解釈するのは某国らだけではありません。
これと同じような感覚で、『多数のバカが少数の正しさを凌駕している』といったことも、身近で実際に起こっています。顕著にあらわれる事例が、選挙です。過去には民主党が政権を奪取したこともありました。そして後悔する国民がたくさんいました。それが、多数のバカな人達です。ずっと、円高が続き、株価は低迷していました。
民主党がどうこうではなく、雰囲気に流された大量のバカな国民の責任です。民主党にとっては日本の国力や競争力をそぐことに成功したとするならば、民主党にとっては「勝利」です。敗者はバカな国民です。バカだと負けるのは当たり前です。
民主党(現・民進党)も日本のために政治をしていると信じております。
扇動するマスコミ、一体誰が悪なのか?
バカがもっとも悪ですが、マスコミも相当なものです。バカは単純なので扇動されやすいのです。中の中くらいの人までを扇動するのは容易なことでしょう。
本物のバカは、バカなのでマスコミに扇動されることはありません。なぜなら、そもそも理解できませんし、記憶力もありませんので、すぐに忘れます。また、選挙とは無縁です。選挙が何かわかっていないためです。
全てを自分の意志で判断したと国民に思わせる術に長けているのがマスコミですが、マスコミだけが悪いわけではありません。彼らも権益を死守するために必死なのです。一般企業と同じく営利企業なのです。全てお金で支配されているのです。
ただし、このまさおのいい加減な主張に対し「それも一理ある」と考えた人は、残念ですが中の下です。わたしは「中二病」のおっさんです。その上、きもいのです。
私はジェニュイン。得意技は扇動で一途な51歳。
>多数のバカが少数の正しさを駆逐する
これなw
オレは、神奈川の方言の「すいません」を神奈川県民以外が使用するのに違和感がある。
すいません。
間違った読み方を広めて、間違った知識の多数派を作り上げているのもマスゴミじゃねーか
少数派が正しいなんて本当に稀有の事で多数派と対等に取り上げようとするのがバカの事。
これは最近に始まったことじゃなくて、大昔からある。
独壇場(どくだんじょう)が現代語では正しいが、本来は
独擅場(どくせんじょう)が正しい。
間違い探しみたいだが、壇(だん)は土扁で、ひなだん、かだんのだん。
擅(せん)は手扁で、訓読みは「ほしいまま」
この誤用が一般化したのは、おそらく江戸の中期以降。
だけど、ここまでくると果たしてどっちが正しいのかよくわからん、というのが感想。
だからといって、マスコミが客観を見失なって煽動に走るが良いワケがない。
ちゃんと客観的事実と主観的意見を分別して報道すべき。
いずれ好ましい日本語のサイトを作るつもりだが、概ね共感できる記事だったのでコメント。
「ネトウヨ」→存在しない。
「女子力」→語義が未だ不明確。
「アイテムが欲しくて課金した」→納金や購入や支払い。税金を納めたことも「課税した」と言うのだろうか。
「こちら○○になります」→いつどこで○○になったのか。「○○です」「○○でございます」で良い。
「難易度が高い」→意味不明。難しさと易しさが高くなるとはどんな状況だ。難度が高いだろ。
よく大衆が必要とされる言葉や用法だけが残ると言うが
この五例だけでも大衆が最良の選択をしていないことがわかる。
これが、必要とされる言葉のみ自然に残ると信じ込んでいる大衆の実像。
いつからミュージシャンをアーティストと言うようになったのか。
いつからリッチ・エグゼクティブ・ハイソサエティをセレブと言うようになったのか。
いつから解雇をリストラと言うようになったのか。
いつから政策をマニフェストと言うようになったのか。
いつからクラスメイトの母親をママ友と言うようになったのか。
いつから単なる整理や処分を断捨離と言うようになったのか。
いつから就活や婚活と略すようになったのか。
大衆がいかに「今」の雰囲気に流されているだけのバカなのかは明白。
キラキラネームが多いのも大衆が雰囲気に流されるバカだからだ。
大衆がまともな判断力と感性を持っているなら「一度たりとも」民主党が政権を取ったり
桝添や小池や辻元が選ばれることはなかったはずだ。
雰囲気に流されフワフワと用法や語義を上書きしたり(壁ドン・恣意的・課金する・納車した)
複数の異義語を一つの単語で塗りつぶしても平気な人間が多いから(疑い・恐れ・懸念等→可能性)
あっちにフラフラこっちにフラフラしていることに気付かない。
小泉の構造改革、民主党政権、橋下の都構想。
こんなのにコロッと靡いてしまう。或いは関心を持たない。
大衆が雰囲気に流されフラフラしているのは明らか。
雰囲気に流され目先の快感に取り込まれている自覚も薄い。
こんなのが大衆なのだから投票率が低いのも当たり前。
言葉の変化は未来の人間に無駄な摩擦を生じさせる悪しき面があることにも気付かない。
現代人は「どくせんじょう」と「どくだんじょう」の二つの言葉を受け継いだが
「どくせんじょう」を「どくだんじょう」に上書きしたバカのせいで
今の時代でも用法に関する摩擦がある。
今は情報化社会と言われている。
「どくせんじょう」という正しい情報と「どくだんじょう」というエラー情報を得たなら
「どくせんじょう」に修正するのが情報化社会として自然ではないだろうか。
しかし修正されない。情報化社会が聞いて呆れる。