[ 日本史 ] 豊臣秀吉から秀頼への権力の移譲は死の1ヶ月前

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1590年に豊臣秀吉は全国を統一しました。しかし、わずか8年後の1598年に豊臣秀吉は死去します。この間の1593年に生まれた子・秀頼への権力の移譲は秀吉の死の1ヶ月前ほどに行われています。なお、秀頼は側室の淀君との間に生まれた子です。

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甥への後継者指名は白紙撤回

秀吉は、既に関白の地位を甥である豊臣秀次に譲っていたのですが、1593年に実子である秀頼が生まれたためか、秀次を後継者ではなく実子を後継者としたいと思い出します。やはり、実の子が一番かわいいということでしょうか。結局は、あることないこと難癖をつけて秀次を切腹させてしまいます。これで、後継者は秀頼に変更されました。恐ろしい時代です。

秀頼を補佐するオールスター軍団

オールスターと呼べるかどうかはわかりませんが、大河ドラマでよく出てくるビッグネームが秀頼を補佐する五大老、五奉行に指名されています。実は豊臣秀吉の死後あっさりと裏切ることになるのですが、息子を補佐するように依頼し、秀頼への忠誠を死の1ヶ月前に誓わせた人物は以下の面々です。なお、秀頼の当時の名は 「 拾丸 」 といいました。ちなみに、秀吉の誕生時の名前は 「 日吉丸 」 ですね。

五大老

  • 徳川家康
  • 前田利家
  • 宇喜多秀家
  • 毛利輝元
  • 上杉景勝

ワンピースの五老星とは違います。

五奉行

  • 浅野長政(司法)
  • 石田光成(行政)
  • 増田長盛(土木)
  • 長束正家(財政)
  • 前田玄以(宗教)

これもまた、ワンピースの五老星とは違います

軍師

  • 黒田官兵衛(如水)

子飼い

  • 加藤清正
  • 福島正則
  • 浅野幸長
  • 加藤嘉明

もちろん秀頼は当時幼すぎますので、蚊帳の外におかれていたかもしれませんね。ただ、大河ドラマにも登場するビッグネームの面々が秀頼の補佐をしていたことは、すごいですね。

しかし、秀吉の死の翌年には五大老や五奉行が秀吉の命にそむいて行動することで政権は不安定となり内部分裂から崩壊へと向かいます。1600年には関が原の戦いがあり、徳川家康が江戸幕府を開いていることからもわかるように、秀吉から子・秀頼への権力の移譲は失敗したと考えられるでしょう。

死の1ヶ月前に現在でいう幼稚園児である息子への権力の移譲です。それも、甥を切腹させてまでいます。何となく考えさせられます。

 

秀吉は改名が好き

先にも少し記載しましたが、秀吉は結構名前を変えています。名前の変遷を下表にまとめました。

出来事 名前
1537年 誕生 日吉丸
1551年 元服 木下藤吉郎
1568年 上洛 木下藤吉郎秀吉
1573年 城主に 羽柴秀吉
1585年 関白に 藤原秀吉
1586年 太政大臣に 豊臣秀吉

途中、ミドルネームでも入りそうな勢いです。

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