[ 奥の細道 ] あかあかと 日ハつれなくも 秋の風(松尾芭蕉)

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富山県の小矢部川SA ( 金沢方面行 ) にある松尾芭蕉の句碑です。松尾芭蕉の徒歩による時間をかけた大紀行は現在では最大の娯楽かもしれません。もちろん、健康な人限定です。

たまには、300年前の芭蕉や時代に想いをはせてみましょう。なんか年寄りくさいですかね。

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あかあかと 日ハつれなくも 秋の風(松尾芭蕉)

あかあかと 日ハつれなくも 秋の風

あかあかと 日ハつれなくも 秋の風

あかあかと 日は難面くも あきの風 - 芭蕉

北陸路「卯の花山、くりからが谷」(当サービスエリアから北西、七キロメートル)をこえて金沢に向かい 加賀平野で残暑の厳しい中にも秋風の気配を感じ、長旅の旅愁のおもいを詠んだといわれている。

北陸自動車道小矢部川サービスエリア上り線は富山県小矢部市(旧越中国砺波郡)に位置する。 富山県小矢部市と石川県津幡町との県境には倶利伽羅(くりから)峠という旧北陸道の峠があり 当サービスエリアから北西方向に視認することができる。 平安末期の寿永二年(1183年)五月、信濃国で挙兵した木曽義仲軍三万と平維盛率いる平家軍七万による 倶利伽羅峠の戦いで、義仲軍は数百頭の牛の角に松明(たいまつ)をくくりつけて夜襲をかけるという源平合戦の中でも 有名な「火牛の計」で大勝を収めている。

奥の細道 2,400 km の旅路から 300年以上経過しました

奥の細道

奥の細道

元禄二年(一六八九年)初夏、松尾芭蕉は、門弟の曽良を伴って江戸深川をたち奥州、北陸の旅路に出ました。秋、大垣にたどりつくまで約五ヶ月、旅程六百里(二、四〇〇キロメートル)に近い徒歩による大紀行が「奥の細道」であります。

当時の長期間を要したその旅程は、いまでは、東北、北陸自動車道、名神高速度道路で結ばれ、多くの皆様に車による快適な旅行を楽しんでいただいており、まさに隔世の感があります。

この句は北陸路「卯の花山、くりからが谷」(当サービスエリアから北西、約七キロメートル)をこえて金沢に向かい加賀平野で、残暑の厳しい中にも秋風を感じ、長途の旅愁のおもいを詠んだものといわれております。

今、芭蕉の奥州、北陸の旅から三〇〇年を迎えることとなりますが、くしくも、今夏、北陸自動車道が全通いたします。

これを記念し芭蕉ゆかりの地、倶利伽羅峠に近いここ小矢部川サービスエリアにこの句碑を建立するものです。

      一九八八年三月      日本道路公団

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