[ 高校古文 ] 徒然草 兼好法師 「九月(ながつき)二十日のころ」

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高校古文にも登場する徒然草 兼好法師 「九月(ながつき)二十日のころ」についての、古文と現代語訳を掲載しています。

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九月(ながつき)二十日のころ

九月二十日のころ、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで月見ありくことはべりしに、おぼし出づる所ありて、案内せさせて入りたまひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬにほひ、しめやかにうちかをりて、しのびたるけはひ、いと ものあはれなり。

よきほどにて出でたまひぬれど、なほ 事ざまの優におぼえて、物のかくれよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。やがて かけこもら ましかば、くちをしからまし。あとまで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうのことは、ただ朝夕の心づかひによるべし。その人、ほどなく失せにけりと聞きはべりし。

現代語訳

九月二十日のころ、ある方にお誘いを受けて、夜が明けるまで月を見て歩きまわったことがありましたが、その方はふとは途中で何を思い出したようで、供の者に取り次がせて、(そこら辺の家の中に)入っていきました。荒れている庭は草の露でいっぱいになっているところに、わざわざ準備したとは思えないようなお香のにおいが、うっすらと香っていて、この家の主人は世間から遠ざかってひっそりと暮らしひている様子が、なんとも心を打ちます。

ある方は、程よい時間で出てこられましたが、私はやはりあたりの様子が優雅に思って物の影からしばらくその家の様子を見ていたところ、家の主人は出入り口の戸を少し開けて、月を見ている様子です。もしも客を送り出して、そのまま戸の掛け金を掛けて部屋に入っていってしまったら、どんなに物足りなかったであろうにと思われました。この家の主人は客の帰った後まで見ている人(兼好法師)がいりとは思ってもいないでしょう。このような(家の主人の)優雅な振る舞いは、普段からの心がけによるものだろう。その人は間もなく亡くなってしまったと聞きました。

何ちゃっての訳です。古文のテストではNGだと思われます。なんとなく雰囲気だけ感じ取っていただければと思います。

感想

お客さんを見送った後に、一人ふと月を見ている様子が何ともいえなかったんだと思います。私も一人よく月をみては涙を流しているものです。そんな私を見かけた方は、是非そっと見守ってやってください。まだ、死にませんけどね。

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